🚗 このブログは、こんな人におすすめです
- 『頭文字D』First Stageだけ観たことある人
- 拓海のハチロクに、ちょっとでもときめいた記憶がある人
- MFゴーストって何?でも“走り”の物語は気になる人
- GR86やBRZの名前にピンときた人
- 「若くないけど、まだ走れるんちゃう?」と感じてる人
※筆者も『First Stageしか知りません』。
でも、気づけば書かずにいられへんくらい、心が動いてもうたんです。
🕐このブログは 約16分で読めます
🏁 目的文
「イニシャルDの作者が新しい漫画描くらしい」
──たまたま見かけたその情報に、ちょっとだけ心が動いた。『MFゴースト』も知らんし、正直そこまでクルマに詳しいわけでもない。
でも、「昴」と「彗星」って名前のキャラクターが出てくると知って、
「なんやこのネーミング?」って気になって調べてみた。そしたら、そこには“スバル”という言葉が何重にも重なってて、
気がつけば、いつのまにか“走る”ってことについて考えてた。これは、イニシャルDのファーストステージしか知らん50代の僕が、
ちょっと昔の自分を思い出しながら、静かに心のエンジンをかけ直す話です。
📝 冒頭文
あの頃、拓海のハチロクに憧れてた。
ドリフトなんかやったことないけど、ユーロビートが流れるたび、心だけは峠を走ってた気がする。
あのビート──今でも聴いたら、なんか胸がざわつく。そんな僕の目に飛び込んできたのが、あの作者の“新連載”。
『MFゴースト』さえ知らんのに、「昴」と「彗星」という名前に、思わず反応してもうた。なんでふたりとも“スバル”なん? なんの意味があるんやろ──
そう思って調べていくうちに、気がついたらまた“走り”のことを考えてた。これは、イニシャルDのファーストステージしか知らん50代の僕が、
昔の自分をそっと呼び起こすように、もう一度、心のエンジンをかけ直した話です。
🔹第1章:なぜ“拓海のその後”が話題なのか

🔍【結論だけ知りたい人へ】藤原拓海は今どうしてる?(超ざっくりまとめ)
- 『MFゴースト』では「片桐カナタの師匠」として登場
- プロのレース中に事故 → 右腕負傷 → 現役引退
- 現在はイギリスのレーシングスクールで講師をしている
- 彼の“走り”はカナタ、そして新作『昴と彗星』の若者へ受け継がれていく
……とまあ、いきなり答えから入ってしもたけど(笑)、
実は僕も、最初は拓海の「その後」なんて考えたこともなかったんや。
『頭文字D』を読んでた頃は、藤原拓海の走ってる姿がすべてやった。
先のことなんて、想像すらしてへんかった。
でも、月日が経った。
こっちも年を取り、気づけば50代。
健康診断の結果とにらめっこしながらも、たまに86の音を耳にすると、なぜか体が反応してまう。
──そんなある日、ふと思った。
「拓海って、今どうしてるんやろ?」
ファーストステージしか知らん人にこそ、伝えたい。
あのあと、拓海はプロジェクトDで全国を回って、腕を磨き、ついには海外のレースにまで挑戦した。
けど──そこで大きな事故に遭い、右腕を負傷してしもたらしい。
もうプロのドライバーとしては走られへん身体になった。
正直、ショックやった。
あのハチロクの走りが、もう見られへんのかと思うと、胸がきゅっとなった。
でも、拓海は“走り屋”をやめへんかった。
走れなくなっても、イギリスのレーシングスクールで講師として後進を育てる道を選んだ。
その教え子のひとりが、『MFゴースト』の主人公──カナタ・リヴィントンや。
さらにその「走りの魂」は、新作『昴と彗星』という物語にも受け継がれていく。
神奈川と群馬、それぞれに現れた“スバル”と呼ばれるふたりの若者が、その火を引き継ぐ。
『頭文字D』は、青春の中の“走り”を描いた作品やった。
でも今描かれているのは、その続き。
走り屋だった者たちが、どう生きて、どう託すのか──その物語や。
藤原拓海は、もう走れへん。
でも、走りは終わってへん。
物語もまた、終わってへんのや。
🔹第2章:藤原拓海は、なぜ走らなくなったのか──『MFゴースト』という続編から見えるもの

正直に言うと、僕は『頭文字D』のファーストステージしかちゃんと観てへんかった。
その後も続いてるのは知ってたけど、なんとなく離れてた。走り屋文化は一時の熱狂やと思ってたし、もう昔の話やろって。
でも最近になって、『MFゴースト』ってタイトルをふと目にした。
「またハチロク?なんで今さら?」──そう思って調べてみたら、思わぬ名前が出てきた。
──“師匠:藤原拓海”。
え、あの拓海が師匠?
豆腐屋のハチロクを峠で走らせてた高校生が?
あの頃、未来なんて何も考えてなかったはずの彼が──誰かを育ててるって?
MFGという時代のなかで
『MFゴースト』は、『頭文字D』の20年後を描く正式な続編や。
舞台は、EV(電気自動車)が主流になった202X年の日本。
そんな時代に逆行するように、“ガソリン車だけで行う峠バトル”が開催されてる。
それが「MFG(モーターファイトグランプリ)」。
そこに現れたのが、片桐カナタ(カナタ・リヴィントン)。
イギリス帰りの19歳で、トヨタ86に乗って参戦してくる。
相手はGT-Rやフェラーリ、ポルシェといったモンスター級のマシン。
けどカナタは、たった一台の86で互角以上に走る。
「この走り…どこかで見たことがある」
作中のライバルたちは驚く。
速いだけやない。ブレーキングの静かさ、ライン取りの美しさ、タイヤの音の少なさ、無駄のない走り──
それはまるで、過去に見た“何か”を呼び起こすような感覚。
「あの走り……なんか、見覚えある」
「まさか……アイツの…?」
読者はもう気づいてる。
カナタの走りには、拓海の影がある。
それもそのはず。
カナタの師匠は、藤原拓海やったんや。
拓海はもう、走ってへん
でも、拓海はもう“現役のドライバー”ではない。
プロとして海外のレースに挑戦したが、事故で右腕を負傷し、引退を余儀なくされた。
けど、走りは捨ててへんかった。
彼はイギリスのレーシングスクールで講師となり、次の時代を走らせる側にまわった。
MFゴーストの主人公・カナタは、その教え子。
つまり拓海の“走り”は、見えない形でレースに息づいてる。
ゴーストとは何か
この物語のタイトル『MFゴースト』──
それは、姿を見せない存在が確かにそこにいるという意味でもあると思う。
拓海は、もう表舞台には出てこない。
でも、カナタの走りを見た誰もが「どこかで見たことある」と感じてしまう。
それはまるで、峠に取り憑いた幽霊のように、かつての走り屋の魂が今も生きているということや。
拓海は、走っていない。でも走っている。
MFゴーストの“ゴースト”とは、彼のことなんや。
そして僕自身の話をすれば──
僕はドリフトなんてできへん。
ハチロクにも乗ったことない。
いま乗ってるのは、2代目プリウス。
燃費優先、安全運転。走行距離はもうすぐ20万キロ。
でも、ファーストステージを観てたあの頃、
なぜかドキドキしてた。あの峠の走りが、やたらと胸に残ってる。
ユーロビートが流れて、ハチロクが滑るシーン。
曲の名前なんて知らんかったけど、「あ、今から何か始まる」って音だけでわかった。
気づいたら手に汗かいてた。画面の中の走りに、心が走ってた。
きっと僕は、当時から走りに憧れてた。
乗ったことはなくても、あの音、あの動き、あの世界に心を持っていかれてた。
そして今、拓海の魂がカナタに託され、
その走りがまた“次の世代”に継がれていく物語を追っている。
MFゴースト。
それは、藤原拓海というゴーストが、まだ峠にいるという物語なんや。
🚗 第3章:ふたりの“スバル”が走り出す──新しい物語の幕開け

もし、あの『頭文字D』しか知らんまま年月がたって、「その後どうなったん?」と思ってる人がいたら──
この『昴と彗星』は、まさにその続きの“答え合わせ”になる作品かもしれへん。
2025年から連載が始まったこの新作には、ふたりの主人公が登場する。
しかも、どっちも名前が「スバル」と読むらしい──
でも性格も立場も、ぜんぜん違う。
■ 神奈川に現れた青年:工藤彗星(くどう すばる)
彗星と書いて“すばる”と読む彼は、ある日、前作『MFゴースト』に登場してた仲間たちの前にふいに現れる。
彼が乗っているのは、スバルのBRZ(ZD8型)。
最新のスポーツカーやけど、どこか懐かしい匂いのする走りをする。
その走りを見た人は、こう思う。
「……この感覚、どこかで見たような──」
そう、昔、豆腐屋のハチロクが駆け抜けてた頃のあの感じ。
“拓海の走り”をふと思い出させるような、そんな雰囲気をまとう青年なんや。
■ 群馬の峠にいた少女:佐藤昴(さとう すばる)
もうひとりの“スバル”は、女性の走り屋。
舞台は、あの『頭文字D』でおなじみの群馬の峠道。
彼女はトヨタのGR86に乗ってる。
そして、そのハンドルさばきとコーナリングの鋭さに、地元の走り屋たちはざわついてるんや。
「あれは、昔の“碓氷(うすい)の天使”、佐藤真子を思い出す走りやないか…?」
実際、ファンの間では「佐藤真子の娘なんちゃう?」っていう噂もある。
それくらい、只者ではない存在感やねん。
■ ふたりとも“スバル”──偶然? それとも運命?
このふたり、車のメーカーが「スバル」なわけやなく、**名前が“すばる”**なんよ。
- 彗星と書いて“すばる”(青年)
- 昴と書いて“すばる”(女性)
車の好みも性格も違う。
でも、どこか共通する“芯の強さ”と孤独感がある。
それがきっと、“走りに向き合う姿勢”としてにじみ出てるんやと思う。
”あの頃、拓海のハチロクに憧れた人たちへ──
いま、名前だけ同じ“スバル”がふたり、また走り出す。
車は変わっても、走りの魂は継がれてる。”
🟨 第4章:ふたりの“スバル”、ふたつのマシン──走りの個性は継承か、それとも進化か?

ふたりのスバル──工藤彗星と佐藤昴が乗るマシンは、それぞれGR86(トヨタ)とBRZ(スバル)。
見た目はそっくり。でも、その走りはまるで違う。
まるで、二卵性双生児みたいな存在。
スバルが設計・製造した車体に対して、トヨタは「走り屋向けにもっと攻めた味付けを」と手を加え、GR86を仕上げた。
対して、スバルは「安定性や安心感を大切にしたい」として、よりマイルドなBRZを世に送り出した。
つまり、同じクルマを違う魂で育てた、そんな背景がある。
だからこそ──
- ドリフトのきっかけを掴みやすく、ハンドルの反応が鋭いGR86に乗る彗星は、「攻めの走り」を体現する。
- 安定感のあるBRZに乗る昴は、どこか“真子の走り”を思わせるような流れるようなライン取りを見せるかもしれない。
しかも、彗星のGR86は、かつて片桐カナタ(MFゴーストの主人公)が駆ったマシンの可能性がある。
そこには拓海の魂が息づいている。
一方、昴の名や姿からは、佐藤真子──あの碓氷峠の天使の面影を感じる読者も少なくない。
走りのスタイルも、車も、継がれているけど、ちゃんと“今の自分”で走ってる。
それが、ふたりの“スバル”の物語の面白さや。
”かつて、ハチロクに熱狂した世代へ。
今、同じ名前を持つ“ふたりのスバル”が、それぞれの道を駆け出している。
車も、時代も違うけど──受け継がれた“走りの魂”は、たしかにここにある。”
🟧 第5章:そして、彼らの“その後”──かつてのヒーローたちは、今どこに?

MFゴーストや『昴と彗星』の世界には、『頭文字D』の登場人物たちも続々と再登場する。 でも、その姿は、僕たちの記憶にある“あの頃”とはちょっと違う。
たとえば──
■ 藤原拓海(ふじわら たくみ)
伝説のハチロク乗り、そして“豆腐屋の走り屋”。 彼はその後、ヨーロッパへと渡り、本格的なレーシングドライバーとしてのキャリアを積んだ。 いまでは、MFゴーストの主人公・片桐カナタを指導した師匠として、物語に名前が登場する。
直接登場することは少ないけど、彼の走りの魂は“指導者”として次世代に受け継がれている。 かつて峠を攻めていた若者が、今は新たな才能を育てているというのは、なんだか胸が熱くなる。
■ 高橋涼介(たかはし りょうすけ)
かつて「赤城の白い彗星」と呼ばれた天才ドライバー。 頭脳派として知られ、関東最速を目指す「プロジェクトD」のリーダーでもあった。 その彼は、実は医学生でもあったという設定があり、その伏線通り、MFゴーストの世界では医師として登場する。
命を救う現場──手術室という、かつての峠とは正反対の場所。 でも、どちらも“ギリギリの判断”と“人の命を預かる責任”という意味では、重なる部分もあるかもしれない。
さらに彼は、MFGレースの裏方としても関わっていると言われている。 つまり、医師として人の命を救いながら、レースという“走りの未来”にも静かに関与しているのだ。
命を救う医療と、命を賭ける走り── 一見対極のようでいて、どちらにも“判断力”と“責任”が問われる。 その両方の世界に立ち、静かに未来をつなぐ者。 それが、いまの高橋涼介である。
■ 高橋啓介(たかはし けいすけ)
黄色いFD(RX-7)を駆る直情型ドライバー。 兄・涼介とは対照的な、感情と本能で走るタイプだった。 ファーストステージを観ていた頃は、「この人、感情的やな」「あんまり考えて走ってなさそう…」という印象もあったかもしれない。
でも今では、横浜ランドマークタワーに会社を構える企業の社長! なんと、パーツ事業や不動産で成功しているらしい。 作中でもその活躍が語られていて、良い意味で驚かされる存在だ。
パーツビジネス単体では難しいとされる中、不動産投資で経営を安定させたという描写もあり、かなりの手腕を持つ人物として描かれている。
「親のスネかじってそう」と思っていた若者が、自力で成功を掴む── そのギャップに、時の流れとキャラクターの成長を感じずにはいられない。
──あの頃、夜の峠を駆けていた走り屋たちは、もう若くない。 でもそれぞれの場所で、あの“走り”に込めた情熱を、違う形で燃やし続けている。
それが今作『昴と彗星』やMFゴーストの背景にある、もうひとつの魅力なのかもしれない。
🟦 第6章:ふたりのスバルの“これから”に期待を込めて

工藤彗星と佐藤昴──ふたりの「スバル」は、まだ物語の途中にいる。
彼らはまだ若く、走りも、人生も、これからどんな道を進んでいくのかは誰にもわからない。 けれど、彼らが背負っているのは、ただの名前やマシンだけじゃない。 “走り”という熱、その魂や情熱が、しっかりと引き継がれている。
片や、ドリフトを操るGR86の彗星。 片や、ラインを滑らかに刻むBRZの昴。 どちらの走りも、誰かの記憶を刺激しながら、新しい物語を刻みはじめている。
きっとこれから、峠で、レースで、そして人生の交差点で、ふたりはそれぞれの「走り方」を見つけていくんやろう。 それが戦いになるのか、共鳴になるのか──それすらも、まだ分からない。
でも、確かなのはひとつ。
かつて、藤原拓海や高橋兄弟に心を熱くした僕たちが、いま再び、彼らの背中を追いたくなってるってこと。
“走り”は、まだ終わってへん。 彼らが踏むアクセルの先に、また新しい何かが待っている。
──それは、新たなライバルとの出会いかもしれへん。 峠での激闘のなかで、彼ら自身の“走り”を再定義する瞬間かもしれない。 あるいは、かつての伝説の走り屋たちと、時を超えて交錯する奇跡かもしれへん。
その“何か”は、きっと読者の心にも火をつけてくれる。 そして僕らの中に眠っていた“あの頃の熱”を、もう一度思い出させてくれるんや。
🟫 第7章:すべてをつなぐ“スバル”という名前

スバル──この名前は、ただの偶然なんやろか。
それとも、すべての“走り”をつなぐためのキーワードなんやろか。
登場人物ふたりの名前、「工藤彗星(くどう・すばる)」と「佐藤昴(さとう・すばる)」。
読み方は同じでも、意味は違う。性格も、マシンも、走りのスタイルも違う。
けど不思議と、どこかで“共鳴”してるように見える。
🌠 名前に込められた“星”の物語
「彗星(すばる)」は、空を一瞬で駆け抜ける流れ星。
太陽に近づくと長い尾を引き、強烈な光を放って消えていく。
その姿は、一瞬で何かを変えてしまう衝撃や、通りすがりの運命の象徴とされてる。
「昴(すばる)」は、夜空にまたたくプレアデス星団。
肉眼でも見えるいくつもの星が寄り添いながら、静かに光を放ち続けてる。
それは、つながり・調和・そして“見守る力”の象徴や。
そして──
このふたりの**“走り方”までもが、その名前の意味を体現してる**ように思えてくる。
彗星(すばる)の走りは、空を斬るように鋭く、ドリフトで相手の懐に飛び込む。
一瞬の判断、一瞬の勝負──まさに、**通りすがりの光が心を奪うような“挑戦の走り”**や。
対して、昴(すばる)の走りは、どこまでも静かでなめらか。
緩急のないライン取り、無駄のないブレーキング。
それは、**ずっとそこにあったような安心感と、芯の強さを持つ“調和の走り”**なんや。
名前、性格、マシン、そして走り。
それぞれが違うけれど、“スバル”という言葉で結びついている。
まるで、星々が引かれ合うように──。
🚗 マシンをつなぐ“もうひとつのスバル”
そして彼らが乗るマシン──GR86とBRZ。
見た目は双子のようでいて、中身はまったく違う性格を持ったクルマたち。
でも──この2台を生み出したのは、トヨタとスバルの“共同開発”による成果や。
企画や味付けはトヨタが主導し、「こういう走りをさせたい」という提案をしている。
一方で、設計と製造を担当しているのはスバル。
つまり、GR86もBRZも、スバルの工場で同じラインから生まれた“兄弟車”なんや。
ふたりの“スバル”が乗るマシンは、どちらも同じスバルという会社の手で作られている。
ブランドは違っても、つくり手は同じ。
名前も走りも違うふたりが、根っこではひとつの場所から繋がっている。
🌌 星々が描く、ひとつの物語
さらに、「昴(すばる)」という言葉自体が、夜空にまたたく星の集まり=プレアデス星団を意味する。
SUBARUのロゴマークも、そこから来てる。
個性の違う星たちがひとつの空に集まり、ひとつの“輝き”を放つ──
それって、まさにこの物語の構造と重なるんちゃうかな。
涼介や啓介、そして拓海。
過去の“走り屋たち”が、それぞれの人生を歩みながらも、どこかで若者たちを見守っている。
その若者たちもまた、自分の“走り”を探しながら、道の上で交差していく。
スバルという名前が、星のように点と点をつないで、物語をひとつにしてる。
そう思うと、この“偶然のような名前の一致”は、きっと偶然やない。
この物語の裏にある、静かな“意志”のようなものを感じずにはいられへんのや。
“走り”は、まだ終わってへん。
彼らが踏むアクセルの先に、また新しい何かが待っている。
。
📝 あとがき:あの頃、僕らが走れなかった分まで──

気づけば、もう50代になった。
あの頃、拓海のハチロクに憧れてたくせに、現実では峠なんか走らへんかった。
──いや、クルマはあった。
職場の後輩が持ってた車に乗って、
砂利の駐車場でドリフトまがいのことをして遊んでた時期もあった。
ヘタクソなハンドルさばきで、ギャーギャー言いながら笑って、タイヤをキュッと鳴らして。
たぶん、あれが僕らなりの“走り屋ごっこ”やったんやろな。
でも本気で“走る”ことはなかった。
気づけば仕事に追われ、日々をこなすだけになってた。
そんな僕が、いままた「スバル」と名のつく若者たちの走りに惹かれてる。
彼らは本気で走ってる。迷いながら、ぶつかりながら、それでも前を向いて。
──そう思った。いや、そう感じた、と言ったほうが正しいかもしれへん。
まだ物語を全部読んだわけやない。
けど、“ふたりのスバル”という存在と、その名前に込められた意味を知っただけで、
なぜか、自分の中の何かが反応したんよ。
彗星みたいに一瞬のきらめきを追いかけることも、
昴みたいに静かでも芯のある走りをすることも、
たぶん今からでも、できるんやろなと思えてきた。
本気って、若さの特権やないんやなって。
心に火がつく瞬間さえあれば、いつでも“走り出せる”気がしたんや。
僕らはもう若くない。
でも、“走る”っていうのは、何も車のことだけやない。
人生もまた、どこまでも走り続けられるんやと思う。
たとえスピードは遅くても、
たとえドリフトなんてできなくても、
──そのアクセルを踏むかどうかは、自分で決められる。
そう思わせてくれる物語が、
今、また始まってる。
”心の奥で──Dのエンジン音が、そっとかかり始めてる。”
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