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⛳ 目的文
この記事では、アニメ『サンキューピッチ』を通して、
「限られた時間でも、本気を込めれば、まだ届くものがある」──
そんな教訓を、50代の僕自身の人生と重ねながら綴っていきます。
全力で走り続けるのが難しくなってきた今、
それでも「まだ何かを投げたい」「まだ届かせたい」と思う自分がいる。
もし、あなたが今
「もう遅いかもしれない」
「もう若くないし…」と立ち止まっているなら、
この物語が、少しでも前を向くきっかけになるかもしれません。
✍️ 冒頭文
最近、「サンキューピッチ」っていう漫画を知った。
正直なところ、最初はまったく期待してなかった。
──どうせまた、若い才能が大活躍するスポ根モノやろ、って。
けど、違った。
出てきたのは、“1日にたった3球しか全力で投げられへん”主人公、桐山不折。
中学時代に右ひじを壊してしまって、今はその制限の中でしかマウンドに立てへん。
それでも彼は、チームのために、たった3球に覚悟を込めて投げていた。
気づいたら、自分と少し重ねて見てた。
若い頃みたいに、がむしゃらには動かれへん。
体も心も、ちょっとずつ言うことを聞かんようになってきてる。
もう全力で勝負できる場面なんか、あと何回あるんやろう…
最近、そんなことばっかり考えてた。
せやけど、それでも──
「まだ投げたい」「まだ届かせたい」って思ってる自分が、心のどこかにいるのかもしれない。
🟦 第1章:完璧じゃなくても立てる理由

桐山不折は、もう“完全な投手”やない。
1日に投げられるのはたった3球だけ。中学時代にひじを壊して、それが今も響いてる。
スタミナも制球力も、全盛期のようにはいかん。
それでも彼は、チームのためにマウンドに立って、その3球に全力を込める。
彼がすごいのは、「できなくなったこと」を悔やむんやなくて、
「今できること」に、ちゃんと向き合ってるところやと思う。
若いころの僕は、なんとなく「ちゃんと準備が整ってから動かなあかん」って思ってた。
自信がないまま動くのが怖かったし、中途半端なまま人前に出るのが、どこか恥ずかしかった。
誰かにそう言われたわけやないけど、
「ミスしたらあかん」「失敗したら取り返しがつかへん」──
そんな空気の中で、生きてきた気がする。
せやから、「もうちょっと準備してから」「もう少しうまくなってから」って、
動き出すのを先延ばしにしてたことも、たぶん多かったと思う。
そうしてるうちに、タイミングを逃してしまったことも、あったかもしれへん。
最近ようやく思うようになった。
完璧じゃなくてもいい。まず動いたらええやん、って。
動いてみて、やりながら修正していく方が、ずっと前に進める。
桐山もそうや。
もう3球しか投げられへん。完璧なコンディションとは程遠い。
それでもマウンドに立って、その3球に覚悟を込めて投げてる。
今の自分で勝負してるんや。
僕らが育った時代は、たしかに「挑戦しにくい社会」やったと思う。
失敗したら怒られる。出すぎたら打たれる。
せやけど、今はもう違う。
完璧になってから動く──なんて、そんなタイミング、永遠に来ん。
だからこそ、まず1球を投げてみる。
失敗しても、途中で息切れしても、それでも「投げた」ってことには意味がある。
桐山の姿が、それを思い出させてくれた。
3球しかないってことは、
「全部をかける場面が、もうそう何度も来ない」ってことかもしれん。
せやけど、残りの球が少ないからこそ、今の1球に込める意味は、むしろ大きくなる。
そう思えたから、僕はもう、完璧じゃなくても立とうと思えた。
🟦 第2章:やり直しやない、“今の自分”で投げるということ

桐山が、もう一度マウンドに立った理由。
それは、「まだ自分を必要としてくれる人がいる」と感じたからだと思う。
キャプテン・小堀の言葉が、心の奥に火をつけた。
その姿に、なんか自分を重ねてしもた。
でも、僕の場合は少し違う。
「誰かの役に立ちたい」とか、そういう立派な理由やない。
ただ──「なんか、やってみたかっただけ。」
50代になって、時間の流れが急に速く感じるようになった。
健康寿命まで、あと何年あるやろう?
病気せんかったとしても、“全力で動ける”時間って、もう20年もないと思う。
いや、ほんまは、もっと短いかもしれへん。
そう思ったとき、ふと桐山の「3球しか投げられない」って言葉が重なった。
もしかしたら、今の僕に残された“本気を出せる時間”って、
ほんまに3球分くらいしかないんかもしれん。
だからこそ、無駄にしたくなかった。
せっかく残ってるその球を、”自分なりに「ちゃんと投げたい」”って思った。
このまま終わっても、別に誰に責められることもない。
でも、「何もせんまま終わってしまうこと」が、一番怖かったのかもしれん。
誰かに呼ばれたわけやない。
でも──自分自身が、もう一度“動いてみたい”って思った。
やり直しやない。
“もう遅い”なんて決めつけるんやなくて、
今の自分で、いま動く。それだけのこと。
それはきっと、
桐山が「たとえ3球しか投げられなくても、今投げたい」と思った気持ちに、どこか似てる気がした。
だから、もう一度立ってみる。
それだけの理由で、十分やと思った。
🟦 第3章:一球入魂──“量”やない、“想い”や

桐山は、1日に3球しか投げられへん。
それでも、試合の流れを変える投球をした。
その姿が、めちゃくちゃ心に刺さった。
量じゃない。
「どれだけ投げられるか」やなくて、
「その1球に、なにを込めるか」。
これは、今の自分にも重なる。
ブログを書き始めたとき、
「どうせ誰も読んでへんやろ」って思ったこともある。
反応は少ないし、アクセスも伸びへん。
けど、それでも書く。
たとえ、数人でも誰かに届いたらええ。
たとえ“3球”でも、それに本気を込められたら、意味はあると思った。
SNSの時代やから、「量」が評価されがちや。
バズったもん勝ち、投稿数が多い人がすごいっていう空気。
でも、ほんまに人の心を動かすのは、
“想い”のこもった、たった1球かもしれへん。
桐山のストレートが、ベンチの空気を変えたように。
あの3球で、仲間の目が変わったように。
僕も、誰かの目を変えられるような球を──
いや、言葉を──投げたいと思った。
「これは、俺の一球や」って言えるようなブログを。
上手に書けんでもええ。たどたどしくてもええ。
“ちゃんと向き合って書いた”ことが、大事なんやと思う。
たくさん投げられへんからこそ、
その一投一投が、ほんまに大事になる。
「もう3球しかない」からこそ、
「この1球で誰かに届くかもしれへん」と思える。
🟨 第4章:誰かの言葉が、僕を立たせてくれた

You Tubeで流れてきた言葉。
「最初はうまくいかへん。それが当たり前。
でも、そこから少しずつ覚えて、前よりもマシになっていく。
そうして、だんだん形になっていく。」
なんとなくこんな感じの言葉だったと思う。
ただ、たくさんの言葉のなかで、なぜかこれだけが心に残った。
誰に向けた言葉でもないのに、まるで自分に言われてるみたいで──
動けなかった足が、ほんの少し、前に出た。
桐山がキャプテンの小堀に「うちのチームに来い」と声をかけられたように、
僕もまた、誰かの“たった一言”で、「もう一度、やってみようか」と思えたんや。
もちろん、決めたのは自分。
けど、その背中をそっと押してくれたのは、誰かの言葉やった。
「別に誰にも求められてへんし」
「どうせ失敗するやろうし」
そうやって動けへんまま、日々だけが過ぎていく──そんな自分を、終わりにしたかった。
たとえ残り3球しかなくても、
自分が「もう一度やってみたい」と思ったなら、それだけでええんちゃうか。
それは僕にとって、たしかに“マウンド”やったんやと思う。
🟦 第5章:今日も、1球だけ投げてみた

毎日が順調なわけやない。
やってることに手応えがない日もあるし、反応がまったく返ってこない日もある。
それでも、今日もブログを書いた。
小さな1球を、ぽつんと投げてみた。
ほんの少しでええ。
誰かの心の隅っこに、その1球が届いて、
「あ、こんな人もいるんやな」と思ってもらえたら、それで充分やと思う。
僕も昔、「何も持ってへん」と思ってた。
自分に価値があるとも、誰かの役に立てるとも思ってへんかった。
でも、YouTubeで出会ったある言葉が背中を押してくれた。
「最初はうまくいかへん。でも、そこから学んで、少しずつ進んでいけばええ。」
その言葉が、しんどかった心にじんわり染みて、
「ほな、もう1球だけでも投げてみよか」って思えた。
別に、誰かのためじゃない。
でも、このブログが“誰かにとってのその言葉”になれたらええなと思う。
🟧 まとめ:残された3球に、何を込める?

正直、ブログを始めたきっかけは、副業として手軽そうやったから。
でも、書いてみたら、知らん間に「自分と向き合う時間」になってた。
書きながら思った。
たった1球でも、そこに想いを込めれば、
誰かの心に届くかもしれへん。
それが、昔の自分みたいに立ち止まってる誰かなら、なおさら。
完璧やなくてええ。うまくいかん日があってもええ。
それでも、「今の自分にできること」を投げてみる。
なんで書いてるのか、よう分からへんときもある。
どこに向かってるのかも、分からんときもある。
それでも、僕は今日もまた、1球を投げてみた。
もし、今なにか始めたいけど迷ってる人がいたら──
これは、そんなあなたに向けて、そっと投げた1球です。受け取るかどうかは、あなた次第。
ただ、自分なりに、今日もまた投げてみただけです。
※本記事は、作品『サンキューピッチ』(講談社)から着想を得た個人の感想・エッセイです。著作権はすべて原著作者に帰属します。
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