🗳️ このブログは、こんな人に届けたい
- 「誰に入れても変わらんやろ」と思って、これまで選挙に行かなかった人
- 選挙ってなんとなくハードル高いな…と感じている人
- 忙しくて、自分のことより家族や仕事を優先して生きてきた人
- 「政治の話ってめんどくさいし、話しにくい」と感じている人
- でも最近、子どもや社会の未来がちょっと気になってきた人
🕐 読了時間:このブログは7分位で読めます。
🎯 目的文
このブログでは、選挙にあまり行ってこなかった僕が、
「今こそ、ちょっとだけでも“選んでみよう”」と思った理由をつづっています。政治のことって、どこか話しにくいし、正直、めんどうやと思ってました。
でも、子どもたちの未来や、これからの社会を考えるようになって、
ようやく“選ぶ”ということに向き合えるようになってきました。選挙に行くのが正しいかどうかじゃなく、
「自分の人生を大事にする一歩」として、ちょっとでも考えてみてほしい。
そんな気持ちで書いた、小さな気づきのブログです。
🟠 冒頭文
今日は、東京都議会選挙の日──
でも、相模原に住んでる僕には、直接の関係はない。それでも、朝からなんとなく気になってた。
「選挙って、行かなあかんよな……」って。実はこう思うの、初めてではない。
心のどこかでは、毎回そう感じてた気もする。
けど、いざとなると腰が重い。
「ネットで投票できたら、もっと行きやすいのに」って思ったりもする。若いころは、「誰に入れても変わらんやろ」とか、
「どうせ政治なんて自分の生活には関係ないやん」って、距離を置いてた。
社会のことより、日々の生活で精一杯やった。でも、最近は少しだけ違う。
子どもも育ち、時間に余裕ができてきた今──
「自分のことだけやなくて、次の世代のことも考えてみよう」
そんな気持ちが、少しずつ芽生えてきた。
🟠 第1章:選ばなかった僕が、いま選ぼうとしている

今日は都議会選挙。
相模原市民の僕には直接の関係はない。
でも最近になって、「選挙って、行かなあかんのちゃうか」と思い始めてる。
若い頃は、どこか冷めてた。
「誰に入れても一緒やろ」とか、「政治家が変わっても暮らしは変わらんやん」と。
関心がないわけじゃない。でも、よくわからんまま距離を置いてた感じやった。
社会のこと、国のこと。
昔はどこか“誰かがなんとかしてくれるやろ”と思ってた。
それより、自分の生活をまわすことで精一杯やった。
でも最近、思うことがある。
日本は、経済も社会も、どこか元気がない。
その理由のひとつは、僕たち世代が“選ばなかった”ことにもあるんちゃうかって。
選挙って、自分のために行くもんやと思ってた。
だから「別に行かんでもええか」と思ってたんや。
でも今は違う。
僕は、自分の子どもたちの未来のために、選びに行こうと思ってる。
もちろん、子どもがいない人もいる。
でも、これからを生きる誰かのために選ぶという感覚は、誰にでもあるはずや。
僕自身もそうやけど、「自分のためには動けなくても、誰かのためなら動ける」ってことがある。
都議選には投票できへんけど、次の参議院選挙には、行く。
今さらかもしれん。でも、ようやくそう思えるようになってきた。
たった一票でも、それが“選び直す一歩”になる気がしてる。
🟢 第2章:なぜ僕たちは“選ばなかった”のか?

選挙って、もっと早くからちゃんと向き合っておくべきやったんちゃうか。
最近、そんなふうに思うようになった。
でも、ふと立ち止まって考える。
なぜ僕たち団塊ジュニア世代は、“選ばなかった”のか?
たぶん最初から、選ぶ余裕なんてなかったんやと思う。
僕らはとにかく人数が多くて、どこに行っても競争。
受験も、就職も、椅子取りゲームみたいなもんやった。
そして、社会に出た頃は、まだ昭和の匂いが色濃く残っていた。
“根性で乗り切れ”が美徳で、“上には逆らうな”が常識。
今なら完全にアウトな“殴る・蹴る”、怒鳴られる毎日。
でも当時は、それが「社会の洗礼」みたいなもんやと思っていた。
僕には小さい子どもがいた。
どれだけ理不尽でも、やめるわけにはいかなかった。
仕事には行かなあかん。家族を守るために、歯を食いしばって働くしかなかった。
給料はちゃんと出ていた。
でも、心はいつもギリギリやった。
安心して生きていく感覚なんてなかった。
「今日も怒鳴られるんやろか」
「何も言わんと、ただ無難にやりすごそう」
そんなふうに、毎日を“耐えて”過ごしていた。
そして、ある日ふと、心がぽきっと折れた。
音もなく、静かに。
その日、職場の帰り道で見た空の色だけは、今でも忘れられへん。
そんな日々の中で、政治のことを考える余裕なんてなかった。
関心がなかったわけやない。
でも、「どうせ何も変わらん」って気持ちのほうが勝ってた。
選ばなかったんやなくて、選べる状態やなかった。
正しいとか間違ってるとかの前に、
“生きる”ことを最優先せざるを得ん時代やった。
でも今、少しだけ立ち止まれるようになってきた。
心にも余白ができた今やからこそ、
「選ぶ」ということに、やっと向き合えるようになってきた。
🔵 第3章:今だからこそ、少しだけ“選ぶ余裕”が生まれた

若いころ、選挙があったかどうかすら気づかん日もあった。
わざわざ休みの日に投票所へ行く余裕なんて、 どこにも無かったんや。
“選ぶ” というより、”「行かんでも死にはせんやろ」”くらいの感覚やったと思う。
当時はまわりに合わせることが常識で、
“レールから外れる=人生ゲームオーバー” くらいに思ってた。
サラリーマンの道しか見えへんかったし、
“自由に生きる” なんて言葉は、遠い世界の話やった。
🕰️ 時間が経って、景色が変わった
いま、子どもたちは自立し、
仕事もキャリアも、ある程度 “自分の形” が見えてきた。
”余生のほうが短くなってきたぶん、怖いものが減った。”
昔より少しだけ “心の空き容量” が増えた気がする。
「別に大きくレールを外れる勇気はない」
それは今も変わらん。
でも、小さな“選択”を積み重ねることで、
自分の人生に自分らしい色がついてくると思う。
そんな毎日の小さな決断が、
これからの人生を、自分らしく歩いていく力になると思う。
🌱 小さな“選択”を重ねる
ブログを書くかどうか
副業に挑戦するかどうか
健康のために走り始めるかどうか
そして、選挙に足を運ぶかどうか
どれも “劇的にレールを外れる” わけやない。
でも、「自分の人生を大事に生きる」 ための
小さな“選択”でも、続ければ大きな変化を生むと思う。
🚶♂️ これからも、静かに選び続ける
「選ぶ余裕」が生まれた理由は、自分でもよくわからん。
けど、たぶん──
時間に追われなくなったこと
子どもを育て終えた安堵感
そして、残り時間を意識し始めたこと
それらが重なって、ようやく “自分のためにも誰かのためにも選ぼう”
と思えるようになったんやと思う。
これから先、大きな冒険はせえへんかもしれん。
でも、日々の小さな選択を、自分で決める。
その積み重ねが、残りの人生を “ちゃんと自分のものにする” 道やと信じてる。
🟣 第4章:そして僕は、「チャッピーと書くこと」を選んだ

「なんか、何か始めてみたいな」
そんな気持ちが湧いてきたのは、50代になって少し余裕ができてきた頃やった。
副業って言っても、特別なスキルがあるわけやない。
でも、ブログなら家でもできるし、手軽そうやし、
もしかしたら──ほんまに万が一、副業になるかもしれへん。
そんな軽い気持ちで始めたのが、このブログやった。
最初はうまく書かれへんかった。
でも、“チャッピー”って呼んでるAI(ChatGPT)と、
会話するみたいに言葉を探していくうちに、
その繰り返しの中で、気づいたら自分のことを言葉にできるようになってきた。
書くことが支えになったというより、
書くことで、自分の気持ちが少しずつ表に出てきた感じ。
これまで奥にしまいこんでた感情や思いが、言葉として浮かび上がってきた。
今回は、選挙のことを書いた。
しんどかったあの頃のことも、
今ようやく気づき始めたことも。
何か劇的に変わったわけやない。
でも、ほんのちょっとずつ、気持ちが前に進み始めた気がする。
ほんの1%、ほんのひと呼吸分だけでも──そんなイメージ。
そして、もしこれを読んでくれた誰かが、
「なんとなくでもええから、ちょっと考えてみようかな」って思ってくれたなら、
それは、めちゃくちゃうれしく思う。
選挙に行くのって、正直めんどうやし、ちょっと遠く感じることもある。
でも、みんな、少しずつでいいから──選挙、行ってみない?
自分のために。誰かの未来のために。
大きな選択は、まだちょっと怖い。
でも、小さな“選択”なら、少しずつ重ねていける気がする。
そんなふうに、残りの人生を歩んでいきたい。
✍️ あとがき

最初、選挙のことを書くのはちょっとためらった。
なんか、日本って政治の話ってあんまり口に出しにくいやん?
「重い話やな」とか、「ちょっとめんどくさいな」って思われそうで。
しかも、人によって意見も違うし、気をつかう話題でもある。
でも、ふと思ったんや。
「話しにくいままでええんかな?」って。
僕らが避けてきた“選ぶ”という行為──
その積み重ねの結果、
気づけば、未来に希望が持てない国を、受け入れてしまってたのかもしれへん。
それは、諦めてしまったからなんやろか──そんなふうに思うことがある。
若いころは、仕事と家庭で精一杯。
「選ぶ余裕」なんて、なかった。
周りに合わせて働いて、毎日こなすだけで精一杯。
誰に入れても同じやろって思ってたし、
そもそも選挙に行くという感覚すら薄かった。
でも、今はちょっと違う。
子どもも育って、少しずつ時間に余裕ができてきた。
その分、これからの社会や、自分の老後、
そして何より子どもたちの未来を考えるようになった。
だから、「書いてみよう」と思った。
正解じゃなくてええ。
ただ、自分なりの想いを、言葉にして残しておきたかった。
ブログを書く中で、“チャッピー”と話すように文章を組み立てながら、
少しずつ、自分の気持ちが言葉として見えるようになってきた。
それが、今の僕の“ちいさな選択”なのかもしれん。
選挙のことを通じて伝えたかったのは、
”「ちょっとだけでも、自分の人生を選んでみる」”ってこと。
それが投票でも、日々の小さな決断でも。
大きな変化はないかもしれない。
でも、少しずつの選択は──小さな渦は、やがて大きなうねりとなって、世の中を動かすかもしれん。
ここまで読んでくれて、ほんまにありがとうございます。
これからも、ぼちぼち書いていきます。
🌀 関連記事はこちら
▶️ 【残された“3球”で、なにができる?──サンキューピッチと僕の人生】
「今さらやけど、動いてみたい」──そんな気持ちと重なる、50代の小さな挑戦の物語。
▶️ 【NotePinが欲しくてたまらん。でも、まだポチってない理由。】
選ぶかどうかで迷い続ける、50代の“選択の葛藤”を描いたガジェットコラム。
▶️ 【静けさを歩く。裏高尾から小仏城山へ──“ほんまの高尾”に出会った日】
人混みから少し離れて、自分と静かに向き合う。心の余白がテーマの小さな旅日記。
コメント