“自由な時間ができたのに、どこか満たされない”──そんな50代が、ひとつの行動を選んだ理由。
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⛳ この記事で伝えたいこと
この記事では、「このままでええんかな」と感じた50代の僕が、
ブログという小さな一歩を選んだ理由と、その過程で感じた迷いや希望を綴っています。
子育てや仕事が一段落し、自由な時間ができたはずなのに、どこか満たされない。
何かを始めたい気持ちはあるけど、自信もスキルもない。
そんな中で“動く”ことを選んだ僕の体験が、
同じように悩んでいる誰かの背中を、少しでもそっと押せたら嬉しいです。
🟧 はじめに
「なんもすることがないなぁ…」
そんなふうに思う日が、ふと増えてきた。
子育ては終わって、仕事も続けてはいるけど、
どこかで“自分の役割”が少しずつ変わってきた気がする。
自由な時間ができたはずやのに、なぜか心が晴れへん。
焦りでも絶望でもない。
ただ、ぽっかり空いた時間に、自分の存在までふわっと薄れていくような──
そんな感覚があった。
「このままでええんかな」
そう思った日から、少しずつでも“何か”を始めてみようと決めた。
このブログも、そのひとつ。
これは、50代になってもう一度、
自分と向き合ってみたくなったひとりの記録です。
🟧 第1章:このままでええんかな、って思った日

気づいたら、休みの日にやることがなくなっていた。
昔は、仕事や家のことでバタバタしてた。
子どもが小さかった頃は、休日に公園へ行ったり、買い物に付き合ったり、何かと予定が埋まってた。
でも今はもう、子どもたちは独立して、妻も自分の時間を楽しんでる。
ぼくはというと──
軽くブログ書いて、公園を散歩して、
やることが無くなって、昼からビールを開ける。
そんな日が、何日か続いたある日、ふと思ったんや。
「……このままで、ほんまにええんかな?」
自由な時間が増えたはずやのに、心が晴れへん。
焦りでもない、絶望でもない。
ただ、じわじわと胸の奥に溜まっていく、“何もない感じ”。
テレビを観て笑っていても、
散歩して風に吹かれても、
どこか、心に“穴”があいているような感じ。
誰かに助けを求めるでもなく、
SNSで愚痴をこぼすでもなく、
ただ静かに、ひとり考えた。
「このまま、年を取っていくんかな……」
「残りの人生、何をするんやろう」
それは、“自分の人生”と改めて向き合った瞬間やった。
🌱 第2章:副業一覧から“ブログ”を選んだ理由──お金もスキルもないけど、やってみたかった

最初はほんまに、「なんかせなあかんかな…」って漠然と思ってた。
それで、副業一覧を検索してみた。せどり?動画編集?プログラミング?
どれも難しそうで、初期投資もかかりそうで、ピンとけえへんかった。
そんな中で見つけたのが、「ブログ」やった。
書くだけやし、パソコンさえあれば始められる。
お金もかからんし、特別なスキルもいらん。
「これなら…なんとかできるかも」って思えた。
でも、やってみてすぐ気づいた。
“書く”って、めっちゃしんどい。
何を書けばいいのか、誰に向けて書けばいいのか。
最初の一文字から、手が止まる日もある。
けど、そこでチャッピーの存在がデカかった。
アイデアを一緒に出してくれたり、構成を考えてくれたり。
「どう書いたら伝わるか?」を一緒に悩んでくれる相棒ができた。
ブログは一人でやるもんやと思ってたけど、
実際は「二人三脚」でやってる感じや。
ひとりじゃない感覚が、今の自分にはちょうどよかった。
まだ成果なんて何も出てへんし、アクセスもほぼゼロ。
でも、チャッピーと話しながら書いてると、
「今日もちょっとだけ進めたな」って思える瞬間がある。
……ちなみに「チャッピー」っていうのは、AIの相棒。
ブログ作るとき、文章の骨組みを一緒に考えてくれる頼れるヤツ。
半分はこいつとしゃべりながら書いてる(笑)
ブログを選んだ理由なんて、今思えば単純。
でも、その“単純さ”が、始める勇気になったんやと思う。
🟧 第3章:時間はもう戻らへん。でも、今ならまだ間に合うと思った

若いときみたいに、時間はもうたっぷりあるわけやない。
やりたいことがあるなら、体が動くうちにやっとかなあかん──そんな風に思った。
まだ50代。
今ならまだ、自分の足でどこへでも行ける。
……頭はちょっと怪しくなってきたけど(笑)、まあ何とかなるやろ。
今を何となくやり過ごしてしまったら、
きっとあとで「あの時やっときゃよかった」って、後悔する気がした。
それが、めちゃくちゃ怖かった。
死ぬ前に思い出すのが「あのときやっときゃ…」ばっかりやったら、
ちょっと悲しいやん。
せやから──ブログを始めた。
フェスにも申し込んだし、ボランティアにも参加するつもり。
どれも、正直言うて手探りやし、カッコええもんではない。
でも、なりふり構わずでも、動くことに意味があると思い込んでやってる。
“自分で自分をあきらめたくない”って、どっかで思ってるんやと思う。
🟧 第4章:誰かの役に立ちたくて、でも結局は自分のために書いてたんかもしれへん

ブログを書くって決めたとき、どうせやるなら収益化もできたらええなと思った。
Google AdSenseの審査も受けてみたし、トレンドを追いかけて記事も書いた。
でも、どこかでふと思ったんや。
「これ、ほんまに自分が書きたいことなんか?」って。
興味が持てない話題を調べて、言葉を並べてみても、なんか心が乗らへん。
書いてるうちに気づいたんよな。
これは、他人のために書いてるようでいて、実は──
“自分の声を、自分で聞くために書いてる”んかもしれへんって。
チャッピーと相談しながら記事を作っていく時間は、
まるで“自分自身と向き合う時間”みたいで。
うまくいかなくても、読まれなくても、
何かがほんの少しずつ、自分の中に積み上がってるような気がしてる。
🟪 第5章:この気持ち、誰かにも届いてほしい

もし、今の僕と同じように
「なんもやることないなぁ…」って思ってる人がいたら、
「もう50代やしな」って、何かを始める前に立ち止まってる人がいたら──
声を大にして言えるような立派なことは言えへんけど、
「僕も同じでした。そして、今もまだ迷っています。」
そう言える気がした。
自由な時間が増えたはずやのに、心が晴れへん日もある。
何かやってみても、うまくいかへんことの方が多い。
ブログの反応はほとんどなくて、自己満足で終わってるような気もする。
それでも──
何もしないまま、ただ日々を流してしまうのが、どうしても怖かった。
最近ふと、「時間って、そんなにたっぷりあるわけちゃうなぁ」って思うことが増えた。
気づかんうちに、ついつい後回しにしてたら、
「ほんまにこのまま終わってまうんちゃうか」って、ふと不安になる。
「このままでええんかな」って自分に問いかけながら、
今もチャッピーと話しながら、こうして言葉を探してる。
きっとこのブログは、かつての自分に宛てた手紙であり、
今の自分自身への声かけであり、
そして、同じようにどこかで迷ってる誰かへの、そっと置いたメッセージかもしれへん。
たった一人でも、
「なんかわかるわ」って思ってくれる人がいたら、
それだけで書いた意味はあるんやと思う。
答えはなくてもええ。
迷いながらでも、動く。
その一歩にこそ、意味があるんやと信じたい。
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