「腰が痛くて、走れなくなった。でも、泳ぐことはできた──50代の“リスタート”の記録」

癒しと散策/Healing & Walks

☀️こんな人におすすめです。

  • サウナくらいのノリで、なにか始めてみたいと思ってる人
  • もう一度、自分の体と向き合いたい人
  • 無理はしたくないけど、今のままもイヤ…そんな揺れる心を持ってるあなたへ

「変わりたい」は、がんばらなくても、きっと動き出せる。そんな感覚を、少しずつ綴ったブログです。

🕐 このブログは 約6分で読めます。

📝 目的文

このブログは、50代の僕が「走れなくなった体」と向き合いながら、“泳ぐ”という新しい選択を受け入れていく日々の記録です。

急に変われなくてもいい。
サウナに行くくらいの気持ちで始めた小さな行動が、気づけば心と身体をじんわりと整えてくれていました。

「何か始めたいけど、ちょっとしんどい」──
そんな誰かの背中を、すこしだけ押せたら嬉しいです。


📘 冒頭文

このブログは、50代の僕が“1日30分のプール通い”を始めてから、心と体にどんな変化が起きていくのか──その過程をゆるやかに綴った記録です。
若い頃から運動が得意だったわけでもなく、体力にも自信がある方ではありません。
それでも、もう一度なにかを始めてみたい──そんな思いから、「走れないなら、泳げばいい」と、プールに通い始めました。
まだ始めたばかりで、大きな変化はありません。
でも、少しずつ何かが変わり始めている気がしています。

このブログが、これから新しいことを始めようとしている誰かの、静かな後押しになればうれしいです。

🟦第1章:腰が痛くて、走れなかった。でも、泳ぐことはできた

運動が好きか?と聞かれたら、正直そこまででもない。
学生時代はほぼ帰宅部。
部活に打ち込む青春ドラマみたいなものは、僕にはあまり縁がなかった。

そんな僕が、30代になって走り出したのは、体重の増加がきっかけやった。
このままやとヤバい…という気持ちが強くて、近所のスポーツジムに通い始めた。
マシンはあまり使わなかったけど、スタジオレッスンにはよく出てた。
僕は意志が強いほうやないから、ひとりで黙々とやるより、
みんなでトレーナーに指示されながら動くほうが合ってた。
マシンで言えば、ほとんどランニングマシンくらいやったかな。

音楽に合わせて体を動かしているうちに、
「ちょっと運動って、気持ちええかもな」
そう思えるようになったのは、たぶんこの頃やと思う。

しばらくは週末のジョギングや、たまのマラソン大会にも出て、
汗をかくのが嫌いやった自分が、少しずつ変わってきてるのを感じていた。

でも──
30代の後半に、ひどい捻挫をしてから、ちょっとずつ走らなくなった。
完治はしたつもりでも、どこかで怖さが残ってたんやろな。
そして40代になると、仕事も忙しくなって、運動する時間もどんどん減っていった。

気づけば、身体を動かすことが日常からフェードアウトしていった。
それが特別に辛いとも思わず、「まあ年齢的にそんなもんか」なんて自分に言い聞かせてた。

でも、50代になってふと思ったんよ。
「もう一回くらい、ちゃんと走れるようになりたいな」って。
それでまた少しずつ走り出した。

……とはいえ、足が重くて、息もすぐ上がる。
30代のあの頃とは、まるで違う体になっていた。
それでも歩けるだけマシやと思って、ウォーキング中心に続けていた。

けど、今度は腰が痛くなってきた。
たぶん歩きすぎたんやろうな。
ある朝、起き上がれんほど痛くなった日があって、「これはまずい」と感じた。
ちょうど10kmのマラソン大会に出ようとしていた時期やった。
そのとき、ふと考えてしまったんや。

「本当に、フルマラソンなんて走れるんか?」
「ちょっと無理かもしれへんな…」

整骨院にも通ったけど、劇的に良くなるわけでもなかった。
モチベーションもだんだん落ちていって、また運動から遠ざかりそうになった。

でも、ある日ふと思ったんや。
「走れんでも、泳ぐことならできるんちゃうか?」

それが、僕の“再スタート”の始まりやった。

🟦第2章:走れないなら、浮かべばいい──プールに通い始めた日々

「もう無理かもしれへん」
そう思ったときにふと浮かんだのが、“泳ぐ”という選択肢やった。

実を言うと、水泳もそんなに得意ってわけやない。
小学生の頃に少しだけスイミングスクールに通っていた。
バタフライも、なんとなくできてた気がするけど、
たぶん、それは“自分がそう思ってただけ”やったんかもしれん。
今はもう、フォームもなにも思い出せへん。

そんな僕が最近通い出したのは、職場の近くのスポーツジム
……といっても、最初の目的はサウナやった。
プールでも筋トレでもなく、ただひと汗かいてスッキリしたくて、
気軽な気持ちで行き始めたのがきっかけ。

でもある日、ふと「ちょっとだけ水に浸かってみようかな」と思って、
プールに足をつけた。
そこから何度か通ううちに、自然と泳ぎたくなってきた。

最初は歩くのが中心。
それでも気持ちよかった。
水の中やと関節に負担がかからへんし、
腰の痛みも、なんとなくラクになってる気がした。

今では、30分ほどゆっくり泳ぐようになった。
とはいえ、まだまだ“泳ぎ始めたばかり”。
フォームもバラバラやし、息継ぎもうまくできへん。
でも、「走れないから無理」とあきらめるより、
“浮かぶだけでもええか”って思えるこの場所があることが、今はありがたい。

そして、プールからあがったあと──
なんやろ、まあまあスッキリしてる。
サウナもスッキリするけど、これはまた別のスッキリ感やな。
水の中で全身を動かしたことで、なんとなく“体全体がまんべんなく鍛えられた”気がする。
汗だくになるわけやないけど、ちゃんと疲れてる感じ。
“ちゃんと動いた感”があるのに、どこも痛くない。
それが、地味にうれしかった。

きっかけは、ほんまに小さな一歩。
サウナに入りに行くという、ハードルの低い行動やった。
でも、そこから「ちょっと水に浸かってみようかな」→「少し歩いてみるか」→「泳いでみよう」に、
自然と気持ちが進んでいった。

あらためて思う。
“最初の一歩”って、無理のない軽さが大事なんやな。

それがいつの間にか、自分をちょっとずつ前に動かしてくれてる。
そんな気がしてる。

🟦第3章:変化はゆるやか。でも、確かに来てる

毎日30分、プールで泳ぐ生活を始めて──まだ日が浅い。
でも、なんやろう。
少しずつ、何かが変わり始めてる気がする。

たとえば、腰の痛み。
完全になくなったわけやない。
でも、あの「朝ベッドから起き上がるのもつらい」という感じは、明らかに減った。
それだけで、朝の気分がちょっと違う。

あと、体のだるさみたいなものも、前よりマシになった気がする。
プールに行った日のほうが、夜ぐっすり眠れる。
翌朝の寝起きも、ちょっと軽い。
深いところで、体と心がほぐれてるんやろか。

……ただし、朝の二日酔いだけは、相変わらず。
飲みすぎた翌朝は、だるいし、歯磨きでえづく
このあたりは水泳でもどうにもならんらしい。(笑)
健康への道のりは、遠くてゆるい坂道やな。

見た目の変化はまだない。
体重も、そんなに減ってへん。
でも──鏡に映る自分が、ほんの少しだけ“マシ”に見える瞬間がある。
「ちょっと引き締まってきたかも?」って、自分だけが思ってるだけかもしれへんけど。
それでも、そう感じられるだけで、なんとなくうれしい。

そして何より、気分が明るい。
これが、いちばん大きいかもしれん。
仕事は相変わらずバタバタしてるし、やる気が出ない日もある。
でも、「今日もプール行こか」って思える日があるだけで、
自分の中の“前向きの種”みたいなもんが芽を出し始めてる気がする。

運動の効果って、きっと数字や成果だけやない。
「ちょっとマシ」になること。
「昨日より悪くない」って思えること。
それだけで、人は案外、前を向けるんやと思う。

もしかしたら──
この繰り返しの中で、「ちょっとやってみようかな」っていう肯定感が、生まれてるのかもしれへん

🟦第4章:この歩みが、どこへ連れてってくれるんやろう?

プールに通い出して、まだそんなに日は経ってへん。
泳ぎ方も自己流やし、フォームなんてグチャグチャや。
けど、それでも今は──
「このまま、もうちょっと続けてみたい」って思えてる自分がいる。

体が劇的に変わったわけちゃう。
見た目も、数値も、そんなに変化はない。
でも、「今日も行くか」って思えることが、今はすごく貴重や。

ふと考える。
このまま、3ヶ月続けたらどうなるんやろう?
半年続けたら?
1年後は?

フルマラソンは無理でも、また10キロくらいなら走れるようになるかもしれへん。
それとも、泳ぐことそのものがもっと楽しくなってるかもしれへん。
あるいは、もっと違う何かに出会ってるかもしれん。

……いや、正直そこまで大きな夢を描いてるわけでもない。
ただ、「今よりマシな自分」に出会えたらええなって思ってる。
腰がラクになる。
よく眠れる。
朝、ちょっと気分がいい。
それくらいの“ちょっとええ感じ”を、毎日の中にポツポツ集めていきたい。

きっとそれが、
50代からでも“人生を整えていく”ってことなんちゃうかな、と思う。

このプール通いが、どこにたどり着くのかはわからん。
でも、わからんからこそ──
新しい風景が、見えてくる予感がしてる。

🟦第5章:最初の一歩は、サウナぐらいの気持ちでええ。

今は、サウナで整いから、プールで整いや。

昔は「汗かいてスッキリ」こそ整うことやと思ってた。
でもいまは、水に浮かび、呼吸を整えるほうが、しっくりくる。
気がつけば──そんな変化を、自然に受け入れている自分がいた。

このブログは、劇的な成功を記録したものやない。
体重が10キロ落ちたわけでもないし、フルマラソンを完走した話でもない。
けれど、「もうダメかも」から「もうちょっとやってみよか」へとにじんだ、
その過程を残したかった。

走れなくなった自分を責めるのをやめた。
泳げることを素直に喜べるようになった。
それだけで、少しずつ見える景色が変わってきた。

もしいま、「何か始めたいけど、しんどいな……」と思っている人がいたら、伝えたい。
大きな一歩はいらん。
サウナ行くくらいのノリでいいんとちがうんかな。
余り偉そうなことは言えないけど、
そんな小さなきっかけが、やがて思いもよらん場所へ、ふわっと流れていく力になることもある気がする。

“走れなかった自分”へ──ありがとう。
君が立ち止まったおかげで、いま僕は、ちゃんと泳いでる。

そして、思う。
立ち止まったときにしか見えへん景色もある。
でも、ずっと下を向いているだけやと気づかれへん。
すこし顔を上げてみたら──
そこには、新しい視点も、可能性も、気づきも広がっているんや。

ほんの小さなきっかけが、大きな渦に変わり、人生を動かすこともある。
だから、考え込む前に、まず一歩だけ動いてみよう。

その渦に、僕はいま、そっと身をゆだねている。

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